ジャパンネット バンク 全体主義
全体とは?
全体主義(ぜんたいしゅぎ、totalitarianism)とは、民衆一人一人の自由、権利を無視しても国家の利益、全体の利益が優先される政治原理、およびその原理からなされる主張のことである。歴史的には近現代において国カを全て総動員する戦間期にこうした主張があらわれたとされるが、今日でも、個人の自由や利益を制約する傾向が顕著な国家について「全体主義国家」あるいは「全体主義体制」の呼称があたえられている。個人主義や民主主義の対語として良く使われる。
同時期の大日本帝国でも大政翼賛会と軍部の下で全体主義体制が敷かれたとされていた。しかし、1970年代までに全体主義体制概念が整理された[要出典]ことから、大日本帝国の政治体制が全体主義体制と呼び得るか否かが議論の対象になった。その後、この時期の日本については軍国主義とだけ形容することが増えている。[要出典]
当初の議論で全体主義が標的としたのは、ブルジョワ民主主義の思想や制度である。すなわち、19世紀後半から顕在化した労働問題などの各種社会問題において、当時の自由主義国家は有効な対応を立てられなかった。国家は個人の自由には立ち入らないまま、深刻さを増していく社会問題を放置しているのであり、ブルジョワ階級の取引と妥協の場と化した議会もまた、中間層以下の庶民の苦しみに目を向けようとしていない。全体主義の主張では、こうしたブルジョワ民主主義の「欠点」が批判されたのである。
全体主義がその「処方箋」として示したのは、国家が積極的に介入してこなかった社会、経済、文化の諸領域にまで干渉し、不毛な選挙や議会政治を否定して、直接的な民意形成を採用することである。こうした体制運営によって、それまで過剰に偏重されていた個人の自由を制限し、国家全体の利益を優先させることが可能になるとされたのである。
1951年にはハンナ・アーレントが『全体主義の起源』を発表し、全体主義を生み出すに至った思想史的系譜を明らかにしようと試みた。ファシズムやナチズムが、先行のマルクス・レーニン主義に影響を受けていたことが指摘された。これに触発されて両者の直接的間接的な関連性を実証する研究が始められた(近年では地域史研究で成果が出ている[1])
さらに時代を下ると政治体制の類型としてスターリニズムを「より完成度の高い全体主義」として整理する議論が優勢になった。大躍進政策・文化大革命期の中華人民共和国や、ソ連の衛星国であった東欧諸国・朝鮮民主主義人民共和国などにも全体主義的な動員と熱狂が社会を支配した時期が認められる(ただし北朝鮮については全体主義的熱狂が社会を支配している期間を明らかにすることが難しい)。
同時多発テロ以後のアメリカのブッシュ政権においても、テロ対策を理由に愛国者法など国内の個人の自由を制約する傾向が強まっており、全体主義の気配が生まれつつあるとする意見もある。
全体主義の語はさまざまな意味で用いられるが、政治・経済・文化・思想・国民等が一元化される状態を言うことが多い。ほとんどの場合なにかしらのイデオロギーに基づく一元化が目指される。歴史上登場したケースでは多くの場合、国家が公認し宣伝するイデオロギーに基づいて社会のあらゆる領域において一元化が目指されている。
国民に主権者(国主)としての自覚がなく、どうすべきか考えず、公僕を指揮して問題解決するより、贔屓の英雄/独裁者の指揮下に入って助けてもらおうとして自ら奴隷に落ちる場合(自由からの逃走)に発生する。
国家・民族など全体が個人に優先する主義であるが、最高決定権・主権を政府の中心にいる総統個人または共産党政治局などの少数が占有するので、結局、一代か世襲かと言う点以外、絶対王政や貴族制と変わりなくなってしまう(寡頭制参照)。
イデオロギーに染まった人々が主導権を握るために、正当な主張を持っていたり、あるいは学術・芸術などに優秀な能力を有していても、体制に従わない者は粛清されていくため、有能な人材が居なくなる恐れがある。
政治・経済・文化・思想・国民等、すべてを国家が管理するため、国策として集約的に工業力を上げるなど効率が良い場合と、組織の硬直化を招いたり悪い場合が極端に現れる。計画経済が採用される場合が多く自由な経済活動が阻害され、市場原理が働かなくなる場合、地下経済が広がる場合が多い。