ジャパネット 高田 平成

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平成とは?

平成」は、元号法が制定された際に陽明学者・安岡正篤が考案したと言われ、改元時の内閣総理大臣・竹下登ら政府首脳も決定前から執心していた。また、閣僚などを通じ、「平成」や「修文」などの候補が外部に漏れ、幾ばくかの国民の間には予め予想する事が可能でもあった。
同日14時10分から開かれた臨時閣議に於いて新元号を正式に決定し、14時36分、内閣官房長官の小渕恵三が記者会見で発表。「ただいま終了しました閣議で元号を改める政令が決定され、第1回臨時閣議後に申しました通り、本日中に公布される予定であります。新しい年号は、平成であります」と言いながら新年号を墨書した台紙を示す姿は、新時代の象徴とされた。
尚、大正と昭和の際と異なり、平成改元の際に翌日から施行された背景として、文書事務の煩雑化・ワードプロセッサ・OA化の普及に伴うプログラム等の変更を行うためと、当時は報道された。
派閥領袖ではない人物が多く首相に就任している。平成19年(2007年)現在、12人の首相のうち、派閥領袖として首相に就任した人物は竹下、宮沢喜一、小渕恵三、森喜朗の4人のみである。首相就任時の年齢が低下傾向にある。昭和期には60歳代後半・70歳代の首相は珍しくなかったが、平成期では多くが50歳代後半から60歳代前半で首相に就任している。70歳代での首相就任は宮沢、村山富市、福田康夫の3人のみである。海部俊樹、細川護熙、羽田孜、橋本龍太郎、小泉純一郎、安倍晋三は、50歳代で首相に就任している。橋本、小沢一郎、小泉純一郎といった世襲政治家が多く活躍した。平成6年(1994年)の村山政権以来の首相は全員、世襲政治家が占めている。
平成期は、戦後体制を見直し、バブル崩壊以降の閉塞状態を脱却しようとする機運が生まれ、選挙制度改革(小選挙区比例代表並立制の導入)、政治改革(政治資金規正法、政党助成金制度)、行政改革(省庁再編、公務員改革)など、総じて「改革」が望まれ、実現されてきた時代であると言える。また、有事法制の整備や自衛隊の海外派遣、教育基本法の改正など、保守色の強い政策への抵抗感が弱まり、自由民主党・民主党の二大政党の政策は右傾化している。革新勢力は力を失い、中国脅威論や対北朝鮮制裁に国民世論が同調している。政界再編が頻発し、政権の枠組みが頻繁に変化した。この事は、政治家のスキャンダルが多く発覚したこととあわせ、国民の政治不信を呼んだ。特定の支持政党を持たない「無党派層」が既存政党への支持者を大きく上回っている。
平成12年(2000年)の中央省庁再編により、官邸主導が強まった。「竹下派七奉行」「清和会四天王」と呼ばれた大物政治家らが1990年代の政界を主導したが、過半が死去・引退した。2000年代に入り、戦後生まれの世代が主導権を握りつつある。与野党で戦後世代の党首が誕生している。地方政治では、ユニークな「改革派首長」が登場し、財政再建や過疎対策などに辣腕を振るうようになった。
偏差値重視の現行教育制度の改革が進められており、文部科学省はゆとり教育を掲げ授業時間数の削減、教育内容の減少を推進した。さらに愛国心や情操教育を盛り込んだ教育基本法の改正も行われた。
これに伴って、経済格差、地域格差を背景とした能力格差が表面化している。この原因は公教育機能が低下しているためといわれ、公教育への不信感が増大している。それを補うための学習塾や私立学校へ進学希望者が増加している。しかし、学習塾や私立学校のない地域はどうやって勉強すればいいのか、不景気の中で教育産業だけが儲かる状況は異常ではないのか、低所得者の学習意欲をどう保証するのかなど、日本国憲法が定めた教育権(能力に応じて教育を受ける権利を持つ)の問題を含めて深刻な状況にある。
そのためゆとり教育の見直し、幼稚園・保育園・高等学校の義務教育化に代表される公教育の機能強化が唱えられているが、教育観や費用の問題もあって見通しは不透明である。
少子化の進展で平成17年(2005年)には『大学全入時代』を迎えたが、学校を卒業しても親に生活を依存するニート、引きこもりといった学生や社会人が増加し、問題視されている。これは経済的には1990年代以来の不景気を背景にしているが、学校と実社会の間にギャップがあるという日本独特の問題が潜んでいるとされる。余りに学校社会になれた子供は、卒業しても社会に適応することが困難になるといわれる。と同時に、教育は学校に行くことだけがすべてではないという見方から、公教育以外の多様な施設が考案、実践されている。さらにメンタル面では不登校や児童虐待、いじめ、薬物乱用、性モラルの低下といった問題を抱えるが、これらの問題は家庭や学校のみならず、塾にまで波及しつつある。

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