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オーダーとは?

オーダーは、ギリシア建築 ・エトルリア建築・ローマ建築に遡る、定型化された柱の装飾方法である。古代ギリシアでは伝統と結びついた重要な手法であったが、ローマ帝国末期には重要性を失い、東ローマ帝国(ビザンティン建築)では早い段階で消失した。
ルネサンス後期になると、オーダーは建築美の究極の姿として権威化され、古典主義建築家たちの間で、オーダーのいかなる比例関係が真の美であるかということが真剣に論議されるようになった。17世紀になってオーダー=真の美という考え方に疑問が呈されるが、18世紀末に古典主義建築の単なる記号として相対化されるまで、オーダーは建築において絶対的な地位を保ち続けた。
オーダーの起原は、ドリス式、コリント式はギリシア建築であるが、イオニア式は小アジアに由来し、どこまで遡れるかは定かでないものの、東方起原であることは間違いない。この3種類のオーダーはローマ建築に継承され、ドリス式、イオニア式、コリント式、そして簡素にではあるがトスカナ式については、古代ローマの建築家ウィトルウィウスの著作『建築について』に記述されている。ウィトルウィウスは、各オーダーの簡素な比例関係と、いかなる神殿にふさわしいかということについての説明を行っているが、決してこれら建築の必須用途であるとは規定しなかった。
初期ルネサンスの建築家レオン・バッティスタ・アルベルティは、ウィトルウィウスの著作とローマ遺跡のオーダーを観察し、その建築理論を『建築論(De re aedificatoria)』にまとめたが、その時、彼はトスカナ式オーダーには言及せず、代わりにコンポジット式オーダー(彼自身はこれをイタリア式と述べているが)を加えた。アルベルティは、建築において主要な装飾は疑いなく円柱であるとしながらも、単にこれらのオーダーを考察の結果として記載し、構成しただけであった。彼はコンポジット式オーダーを加えはしたが、それについてほとんど何も語っていないし、コリント式オーダーを特に重用している。何より、実作では、彼自身が自らのオーダーの比例理論に忠実ではなかった。
アルベルティの著作には図版が記載されておらず、その後に刊行されたアントニオ・フィラレーテやフランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニの建築論ではオーダーに関する明確な理論は語られていない。15世紀の建築家たちは包括的なオーダーシステムを持っておらず、ほとんどの場合、ロマネスク時代から用いられていたコリント式かコンポジット式を採用した。
16世紀初頭になると、古代ローマの遺跡に対する包括的な研究とウィトウィウスの理解によって、オーダーは体系的に扱われるようになり、特にドナト・ブラマンテによって様々な展開をみることになる。ブラマンテは、トスカナ式とドリス式を積極的に応用した初めての建築家で、聖人を崇拝する施設にはどのようなオーダーがふさわしいか、という定義を示した。
セルリオ以後、オーダーは建築美の究極の姿であるという概念は建築家たちに受け入れられ、建築理論はいかなる比例関係がオーダーの真実の姿なのかという論点で展開されるようになる。
17世紀になると、クロード・ペローが、古代からルネサンスにいたるオーダーの比例に全く統一性がないことを指摘し、オーダーの比例に内在する絶対的な美というものに対して疑問を呈したが、建築アカデミー主事であったフランソワ・ブロンデルはルネサンス的な比例理論を至高の存在としてこれを堅持した。ブロンデルのような保守派も、古代ローマの建築には一定の比例関係が全く見いだされないことを知ってはいたが、このような差異は視覚補正(見え方を適正にするための修正)によるものとされ、比例と美の関係に対する議論は18世紀中葉まで続けられた。
このような議論は新古典主義にも継承されたが、18世紀後期に、「美」の本質に主観と客観が相互に関連する恣意的な要素が含まれていることが認識され、さらに、植民地から諸外国の建築についての情報がもたらされるにおよんで、オーダーの比例に内在すると思われた美が実は経験的なものに過ぎないと考えられるようになった。このため、オーダーは建築にとって絶対的なものとはみなされなくなり、19世紀の歴史主義、折衷主義では、古典主義建築を表すだけの単なる記号として扱われることになった。

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