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ラップとは?
メロディーを必要とせず、似た言葉や語尾が同じ言葉を繰り返す、韻を踏む(ライム)のが特徴的な話し言葉に近い抑揚をつけて発声する唱法。曲の拍感覚に合わせる方法(オン・ビート)と合わせない方法(オフ・ビート)がある。ヒップホップの四大要素の一つ。ヒップホップの同義語ではなく、ヒップホップとは黒人の創造性の文化を指す。
誕生の場は1960〜70年代、アメリカ合衆国ニューヨークでみられたブロック・パーティーだと言われるが、古くはアフリカン・グリオ(文盲者に口伝で歴史や詩を伝える者達)にそのルーツが見られ、マルコムXやキング牧師といった政治的指導者のスピーチも大きく影響を与えている。モハメド・アリのインタビューなどで見られた言葉遊びによって、より広まったといわれる。あらかじめ用意した歌詞(リリック)ではなく、即興で歌詞を作り、歌詞とライムの技術を競うフリースタイルもある。
日本においては、多くの単語が共通の綴りで結ばれる(-tion、-erなど)英語と違い、「日本語でラップを行うことは困難」とされており、実際YMO等は英語でラップを試みていた。しかし1980年代以降、ヒップホップミュージックの隆盛にあわせ、日本語ラップへの試みが行われ、日本語でもライムが可能である事が発見されるなど多くのMC達の努力の結果、次第に広まりをみせた。昨今ではヒップホップに留まらず、ロックやJ-POPにも取り入れられる手法となり、チャート上位の曲でラップを聴く事も多くなった。この流れは、かつての日本語によるロックの経緯と重なる部分がある。使われる音はクリーンが多い。
音楽シーンでは、1985年に吉幾三が「俺ら東京さ行ぐだ」でラップを取り入れてヒットさせたが、この時は、歌詞の滑稽さばかりが取り上げられて、その革新的な作曲は評価されなかった。1994年にスチャダラパーの「今夜はブギーバック」やEAST END×YURIのシングル「DA・YO・NE」などによって、ラップの存在が一般に認知されるようになる。そして90年代後半、Dragon Ashが登場する。Dragon Ashの影響は大きく、それまでのヒップホップアーティストには批判もされながらも、ラップはメジャーシーンに引き上げられ、日本のヒップホップは良くも悪くも変わっていく。90年代半ばから後半にかけてオーバーグラウンドでEAST ENDやDragon Ashが成功を収める一方、アンダーグラウンドでキングギドラなどが隆盛を迎えていたことによって「韻を踏んでないものはラップではない」とする意識がラップミュージックのファンやMC達の間に強く生まれた。2007年にオリコンチャート2位を記録した「もってけ!セーラーふく」は、アニメソングの様相を呈していながら今までに無い極めて日本的なラップとして石井恒等の多々の識者・評論家が高く評価している。それまでの邦楽ラップは西洋輸入品の味が強く、どうしても日本語詩の歌としては不自然さがにじみ出てしまうものであった。そのため、高低アクセント、モーラ拍のリズムによる詩(短歌・俳句)、モノフォニー的詠歌などの日本語のキャラクターに即した作りであるこの曲は初の純和ラップとして革新的な音楽という評価がなされている。
ヒップホップには、社会へのメッセージ性を排し、商業的な成果だけを求める行為を「セル・アウト(sell out)」と呼び、卑しむ文化がある。しかし現在日本の音楽界では話題性などの商業的影響を考え、タレントなどが楽曲をリリースする際に単なるスキャットを「ラップパートがある」と称してリリースされる曲が増えてきている。このためポップ・ミュージシャンなどの門外漢が、ラップをすることに対する強い反感を生み出している。
現在アメリカではトップセールスを記録する曲はラップミュージックが多いが、日本ではラップやヒップホップの本質が、まだ正しく認知されていないのが現状である。リリックの間に「チェケラッチョ」や「YO!」を混ぜただけでラップを自称するグループや、バックトラックを使わずドラムやベースなどでトラックをその場で演奏するユニットがいたり(尤も本場のHIPHOPでも生音志向は存在する)、ラップ要素が皆無なのに服装はB系等、日本の製作側ではラップを「リズムのよさや目新しさで印象深くするため」の道具として認識している人間のほうが圧倒的に多く、これはロックのように、売れた先行者の2匹目のドジョウをねらう者や、冗談半分ではじめた者すらある程度の成功を収めたことにより、金につながると認識された結果である。そのため、本来のラップとはかけ離れた楽曲を提供するグループがラッパーと名乗ったりもする。